長~い前置き
こんにちは、むすぺろです。
今日は魅惑のツイッタランドでここ何日か見た、”とあるお話”について書こうと思っています。
先にお断りしておくと、この記事は私の個人的な見解や認識に沿って書くし、全く関係ないところから覗いて、当事者でもないのに色んなことを考えてしまって吐き出したいだけなので、偏っていたり不快に感じる表現があるかもしれません。
それから、今回話題に出した人たちのツイートを取り上げますが、その人達を糾弾したい!というわけではないです。(批判はするかもだけど。炎上商法なのかな?と思うところがあるのであまり多く引用しません)
「この話、結局なんだったん?」となる可能性もある話なんですが、それでもいいよと言う方だけ、先にお進みください。そうじゃなきゃブラウザバック推奨です。
発端
タイトルでいきなり「妊婦様」なんて優しくない言葉が入ってるわけなんですが、まずは発端になったツイートを見てみましょう。
とある妊婦さん(便宜上Aさんとします)のツイートを、批判付きで引用リツイートをした人がいました。
産後の面会とかはもちろん体調と相談で周りのみんなの気遣いが必要と思うんだけど、「お腹ん中で育んだの私だから」「産むの私だから」という、旦那より私の方がえらい感、私は優先されるべき感みたいなのが滲み出ててこれが妊婦様って奴なんだなーと思ってゾッとした…。 https://t.co/JBTaeg7Egd
— 鈴木 裕行@ひろさとすたいる (@hiro_satostyle) 2018年5月13日
この方が炎上したのは
- 元のツイートにはない情報を付け加えたこと
- 元ツイートを曲解し、Aさんに「妊婦様」とレッテルをつけたこと。
- 誤解を解きたいと連投した内容が「いやそれ誤解じゃないじゃん」だったこと。
- ちょっと愚痴を溢しただけの、何の関係もない妊婦さんをいきなり殴りつけておいて(比喩)、それに対しての謝罪がないこと。
ざっと考えつくのはこのくらいかな?
後は単純に
- 引用リツイートしたことで、面と向かって悪口を言った様な状況になってること
- 妊婦は大事にするべきと言いつつ、大事にしてないように見えるところ
くらいかしら?
まぁどうして炎上したかは置いといて、(Twitter上で散々議論しつくされてるので、気になる方はご自身でご確認ください。)それよりもこの「産むの私だから」という発言について、この方以外にも同じように考える方が散見されたので、そちらについての所感をお話しましょう。
言葉の意図:「産むの私だから」ってどんな気持ち?
今回この話題が出た際、「産むの私だから」という発言を良しとするか悪しとするか、という議論が起きていました。
「産むの私なんだから」良し派の意見
- 出産は文字通り命がけで、体力面、精神面共に不安定。
- 体力面だけで言っても、病気や怪我で手術をした直後と変わりなく、体調が万全じゃない時は人と会いたくないと思う人もいる。
- 「(痛い思いをしてor命をかけて)産むの私だから」と言う気持ちなのでは?
「産むの私なんだから」悪し派の意見
- 「妊婦だから自分の意見が優先されるべき」と思っていて、偉そう。
- 出産するからといって「大事にされて然るべき」な態度はいかがなものか
- ある種セクハラ・パワハラだ!(これは正直ワロタ)
- 産むのはあなたでも、2人の子供なのだからどちらの両親にも平等であるべき
他にもあったけど割愛。
私が「どちらの意見に賛同するか」と言われたら圧倒的に良し派です。
しかし、悪し派の意見がわからない、というわけでもありません。
良し派は「自身の体力面・精神面の回復(状況)」の話をしていて、
悪し派は「自身と相手の関係性(精神)」の話をしています。
どうしてそうなっているかって、
そもそも「産むの私だから」のニュアンスが違うんです。
そこを加味しないとずっと平行線だと思うので、もしこの議論をしているのなら別のニュアンスで見ているのかなー?と一歩引いて観察してみてほしいですね。
妊婦様かどうか見極めるのに必要な"背景"
確かに世の中には、所謂"妊婦様"と呼ばれるような人がいますよね。
例えば公共の乗り物の自由席券しか購入してないのに、指定席をタダで譲れとごねたり、「妊婦なんだから優しくしなさいよ!」と高圧的な態度を取る人。
例え妊婦であろうが、公共マナーは守らなければなりませんし、非常事態など例外はあるけど、「妊娠しているから何もかもが免罪」と考えていたり、優しくしてもらったことに対して礼儀礼節をわきまえず、横柄な態度をとるなら"妊婦様"と呼ばれても仕方ないのかもしれません。
だけど今回のように産後の面会日程については、実際に体に負担をかけ、痛くて苦しい思いをするのは間違いなく妊婦さんですから、妊婦さんの体調や精神面・都合に合わせて計画したほうが良いと思いますし、勝手に決められたことをSNSで嘆くくらい許されてもいいのではないかなあ・・・と。
例えば「産むの私だから、この子は私の子供!だから義両親には会わせない!」と言うなら一方的なのかもしれないけど、それだってそう言わざるを得ない状況になってしまった過程があるわけで、そこを無視して批判はできません。
読解力がない?想像力がない?それは誰目線?
こうしてみてみると、結局の所言葉尻だけ捉えて判断している人が一定数いるんだなという感想ですが、割と往々にしてそういうことって起こるよね・・・とも思います。
今回この一連の流れの中で、「”産むの私だから”と”俺が稼いだ金だろ”というのは似ている(同じ)」と言っている人達がいました。
「俺が稼いだ金だろ」という言葉をパッと聞いて、ボサボサヘアーでボロ布を着た女の人が「あんたぁ…生活費いれておくれよぉ…」と懇願しているところに、酒瓶持ったいかにも亭主関白な男の人が「うるせぇ!俺の稼いだ金をどう使おうと俺の勝手だろ!」と殴りつける・・・みたいな情景が浮かんでしまいました。
だけど、ちょっと別の方向から想像して、「俺が稼いだ金」を良いニュアンスで捉えた時のイメージを絵にしてみました。(わかりやすいように「産むの私だから」良し派解釈を比較として横に並べています。)
いいイメージで使えば、「俺の稼いだ金」だって理解されるとは思うので、やはりその内容を評価する際や言及する際に、その人のその発言に至ることになった背景は無視できません。
私達にできること
妊婦さんにとっても、旦那さんにとっても一番良いのは自分たちで話し合って解決に至ることなので、こうした議論を繰り返すことも不毛なのかもしれません。
だけど、もしSNSやブログで悩んだり、嘆いている人が周りにいて、なんかモヤッとするなぁとか、これは違うんじゃないかなと思った時に、口撃や批判、非難する前に一度立ち止まって、その発言に至った経緯や心境をきちんと見極めることが、今後のSNSでは求められていくのではないかなと思う出来事でした。
みなさんももし周りにそういう事が起きたら、一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょう。
うん、やっぱりだからなんだって記事になっちゃった(´◡`)
まあいいか。
ちょっと長くなってしまいましたが、今回はこのへんで。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。